
先ほど、最果タヒさんのエッセイ『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける』を読み終えたので、感想をつらつらと書いていきます。
どんな内容?
舞台への愛を語るエッセイです。
好きな気持ちを相手へ伝えることへの不安や葛藤、ファンとしてどうあるべきか、好きって、自分だけの気持ちだけど、好きだと相手に伝えるってことで一方的なものでなくなる、伝えたいってなんだ?自己満足じゃないのか?など
そんな葛藤がかかれていました。
感想
私は、好きな気持ちは、その人に伝えたくなって、こんな愛おしい気持ちは伝えた方がいい、なかったことになってしまうなんて耐え難い と思って溢れんばかりの愛情をすぐ伝えてしまうタイプなので、
こんなふうに相手への配慮を極限まで考える人もいるのだなぁと少し驚きました。
最果さんは、伝えることの意味とか、その先にあることとか、なんのため? これは意味があるのか?とかそのようなことをたくさん考えているのだなぁ。
私にはない感覚だなぁと思いつつ、いくつかきらりと光って見えた文章があったので紹介させてください。
私は私だったから、この人が好きになった。1
p90
うん、うん。そうだよねぇと思います。
当たり前のことなのですが、私が私だったからこそ、その人を好きになったんだよなぁと。
ここに至るまで見てきたもの、感じてきたこと、経験を通して、ここで出会って、ここで好きになれたのは私が私だったからなのだと思うと、自分の今までが、今までの自分が、全部肯定されたような気持ちになります。
このために生きてきたのかと、そんなはずないのにそう強く思ってしまう、それほどまでの力がありますよね。好きってすごい。
私は私でよかったなぁと思えて、普段は自信なんて1mmもないのに、この時は素直に自分を受け入れられて、満ち足りた気持ちになります。
誰にも侵食できないものを私は持っていて、それを曝け出したまま他者と関わっていける
p113
そうだよなぁ。いくらこれが大好き!と曝け出したところで、自分の内側をどこまでも曝け出したところで、わかり合えないよねと思います。
それは悲しいことではなくて、私は私の気持ちを全部わかっちゃうような人が一人もいないことに安心を覚えます。
わかられたら困るのです。馬鹿にしないでと。
かといって、閉じこもってるわけでもなく、こうやって出口を見つけてはそこから言葉にしています。お互い、そうやって関わっていきたいなぁって思います。
お互いわからないけど、こうやって他者と関わっていけるのって、本当にありがたいことだなと感じます。
人を愛するには自分のことをまずは愛し抜かなくてはいけない気がする
p143
そう、まずは自分を満たしてからだよねと強く思います。